ムハンマドの猫

2015.4

日本ペンクラブ会員 獣医学博士 鷲塚 貞長

9500年ほど前のキプロス島の遺跡で、ネコの化石が発見され、この島には山猫は生息していなかったので、これが今日確認されている、飼い猫の最古の記録のようです。

この猫の化石は、他所より島に持ち込まれた、特権階級の飼い猫で、この時代では、庶民と猫との密接な関わりは無かったのではと言われています。

家猫として固定され、ネコが身近な動物となったのは、約5000年前の古代エジプトで、穀類をネズミから守る存在として珍重され、ミイラにもなっていることは、良く知られています。

約1300年前の、イスラム教の開祖ムハンマドが、ネコ好きであったことは多くの記録があり、その関連か、ムスリンは猫を愛し、今日でもモスクでは、ネコの出入りは自由です。

ムハンマドは、犬はあまり好きではなかったようで、それに関する逸話は見当らず、これは、アリストテレスも記録に残す、狂犬病の存在が関連しているのかも知れません。

ネコにも狂犬病がありますが、犬と異なり、ネコでは、ネコからネコへの感染を繰り返す内に、弱毒化が進むので、脅威にはならなかったのでしょう。

ムハンマドの猫に関する逸話は、ムハンマドが毒蛇に咬まれ、生死の境をさまよっていた時、ネコに救われたなど、その幾つかが今日に伝えられていますが、最も有名なのは、ある日外出しようと、上着を取ろうとしたところ、可愛がっていたムアッザというネコが、袖の上で気持ちよく寝ていたので、起こすのがかわいそうで、上着の袖を切り、片袖の無い上着で外出した、という話です。

またある時、ムハンマドが愛猫の額をなでると、彼のイニシャルの、Mという字が浮かび上がったという話から、ムスリンは、これを“ムハンマドの猫”と呼び、額にMの模様を持ったネコは、大切に扱われるようです。

「ちょっと、ちょっと、この話少し疑問があるなーー」「アラビア人は個性が強いよねー」「言語は、アラビア語が絶対的」「アルファベットのMと、アラビア語のMに相当する文字は、似ても似つかない」。

アルファベットは、BC1700年~BC1500年の、地中海東部の沿岸地域で発達し、フェニキア文字、ギリシャ文字、ラテン文字を経て、形成された文字で、アルファベットという語は、ギリシャ文字の最初の2文字、α、βの読み方に由来します。

歴史的に考えれば、ムハンマドの時代に、アルファベットがアラビアで知られていても不思議はないが、ムハンマドは8歳から孤児同然で、叔父のキャラバンのラクダ番など下働きで、ほとんど教育を受けておらず、読み書きができなかったので、40歳から始まる神の啓示も、口述を書記が、その都度書き留めたという説もありますが、貧しかったのは25歳までで、ハディージャという、大変なアゲマン女房をもらってからは、商人として大成しているので、読み、書き、そろばんは、25歳以降に十分に学んでいた可能性があります。

ムハンマドの猫の逸話は、イスラム教の開祖として、名声を得てからのことなので、アルファベットのMが、ムハンマドの猫というストーリーは、一応理解できますが、今日、世界に数あるイスラム国家では、戒律はあまり守られていない中で、サウジアラビアは、今日なお、イスラム教の戒律を守り、まことに個性の濃い社会であるだけに、1300年の昔、アラビア語でないMを、素直に受け入れたことには、いささか疑問が残りますぞ・・・。

もっとも、あの独特な書体のアラビア文字を、ネコの額の紋様に求めても、それは不可能ですが・・。

muhac