こーすけとみっちゃん

2018.7

日本ペンクラブ会員 獣医学博士 鷲塚 貞長

こーすけ

「まだ子猫なのに、ものすごく暴れて、やっとのことで網に入れ、連れてきました」「生後2ヶ月弱ですねーー」「野良ちゃんは、子猫でもすごいパワーで抵抗する子がいますよ」「保護者の善意など、子猫に解るわけがないので、危害を加えられるかと、必死の抵抗ですよね」「こんなに小さくて、このパワー」「ビッグキャットのライオンの、攻撃力が如何にすさまじいか・・・」。

「両目が塞がっていますが、感染で結膜が腫れているので、炎症が収まれば、視力には影響なく、外観も正常な瞳になります」「鼻も鼻汁で詰まっていますね」「伝染性鼻気管炎という、ネコに多い病気です」「蚤も沢山いますし、消化管の寄生虫は検査してみますが、まずは感染しているでしょうね」。

後に“こーすけ”と名付けられた、この雄のトラネコは、保護者の経済的理由もあり、野良ちゃん割引の、特別料金でも限界があり、とりあえず5日間の入院となり、治療を受けた後、ケージに移されましたが、睨みつけるにも、目が開かないので、小さな口を思いっきり開け、プワーと威嚇します。

「やれやれ、明日からの治療時の保定に手がかかるなーー」「野良の診療が多いので、この程度は慣れっこか・・」。

「あのー、家にはすでに猫が3匹いて、こんなに狂暴では、我が家では飼えません・・」「退院後はどうするのですか」「心残りですが、元の野外に戻します」「まだ2ヶ月弱だし、今は雨期で、子猫が野外で生き残る確率は低いですよ」「・・・・・」「とりあえず治療して、それから里親探しに、当院でも最善を尽くしますが、みんなで頑張りましょう」。

ネコは、年に平均3回発情し、平均1回に4頭出産しますが、野良ちゃんの場合は、子猫が無惨にも、カラスの餌食になることが多く、年間12頭が全部育つわけではありませんが、それでも供給過剰状態で、里親探しは容易ではありません。

最近では、里親探しを主催するグループが、随所で見られますが、それでもご縁が無く、行き場のない猫たちが、かなりの数で存在します。

こーすけは、生命力が旺盛で、治療に良く反応し、感染による結膜の浮腫もめきめきと回復し、可愛い瞳を取り戻し、性格も、スタッフのお姉さん達が、入れ代わり立ち代わり抱きしめて、「怖くないよ、いい子になってね」と言い聞かせ、可愛がられ、初日の狂暴性は何処へやら、2日目からはベタベタの甘えっ子に豹変しました。

約束の5日が経過し、保護者夫婦が、複雑な表情で来院しました。

「へー、この子が5日前に入院をお願いした子ですか・・・・」「他の子ではないですか」「信じられないなあ・・・」。

目ヤニと浮腫で、塞がっていた両目はパッチリと開き、VTのスタッフに抱かれ、顔を摺り寄せている、そのあまりの豹変ぶりに、保護者の夫婦は、来院時の暗い表情は吹っ飛び、しばし良い意味で“信じられない”といった、明るい表情に変化したのです。

「これなら家で飼えるわ・・・」。

この一言で、雨期に街頭をさ迷う、こーすけの悲惨な前途は、幸せな日々に変わったのです。
すでに、ネコエイズと寄生虫の検査は、入院中に終わっていたので、飼い猫として、第一回目のワクチンを済ませ、保護者の懐に抱かれ、こーすけは退院して行きました。

 

みっちゃん

それは残暑が厳しく、せみ時雨がことのほか激しい、8月ももう終わりに近い、午後の出来事でした。

「車の多い交差点近くで、轢かれていました」「車の往来が激しく危険だし、通行人は、みなさん見て見ぬふりをして、通り過ぎてしまうので、見かねて私が連れてきました」「意識が無いみたいですが、助かるでしょうか」。

「かなり重症ですね・・・」「下顎の骨が砕けて、顎がぶら下がっていますが、下顎骨は手術で正常に近い状態に戻せます」「猫は体が小さいので、車にはねられ、頭部に大怪我をした場合、外観は正常に見えても、胸部や腹部にも、同時に大きなダメージを受けていることが多いので、レントゲンとエコーを中心に調べましょう」。

推定4~5歳で、キジトラ(brown tabby)の体格の良い雄猫で、その後1年近く、病院で暮らすことになる、みっちゃん(保護者の苗字よりの仮の名)の、事故による損傷は、下顎骨複雑骨折、胸部の強打による、肺の損傷での胸腔内出血と気胸、その他は著変なしでした。

意識は、処置により間もなく回復、肺の損傷の治療と下顎骨の整形手術の為、入院のこととなり、胸腔の血液と空気の吸引などの内科処置により、体調が整った段階で、手術を行うこととなりました。

手術までの間は、自身で餌を食すことが不可能なので、チューブ・フィーディングを行いましたが、みっちゃんは回復力が旺盛で、胸腔病変は数日で消失したので、下顎の複雑骨折の整形手術を行い、下顎は、外観も機能も、ほぼ正常に復したのです。

保護者の家庭環境は、高齢の介護老人を抱え、人手がなく、新たに愛猫を迎える状態になく、里親探しを希望されたので、治療終了後も管理入院の継続になったのです。

里親さがしは、可愛い子猫でも、あげたい人より、飼いたい人の数が圧倒的に少ない、いわゆる供給過剰が現状で、ましてや、4~5歳の成ネコになると、里親希望は激減します。

大人なっても、無邪気に遊ぶのは、“イヌとヒト”だけで、大方の身近な動物は、おっとりと冷静沈着になり、表現を変えれば、無邪気さがなくなります。

新に猫を飼いたい人の大方は、子猫の、あのハチャメチャで爆発的な元気さに魅かれるので、成ネコの里親探しは難航しますが、高齢化の進んだ日本以外の先進国では、老い先短いお人が、新たに動物を飼うときは、老い先短い、老齢動物を選ぶ、いわゆる老々飼育がかなりの普及をみせていますが、我が国では、幼少動物の、あの無邪気さに魅かれる老人が多く,老々飼育の普及は進んでいません。

老齢になり、飼育動物が亡くなった場合、愛が深く、経済的にもそれなりの余裕のある良識ある階層ほど、「新たに飼うと、天寿を全うするまで、責任が持てない」「我慢しよう」となるのです。

身近な動物(主として犬、猫)の寿命は人の四分の一ですから、100歳以上の高齢者が数万を数え、今後元気な100歳以上のお人の数は、ウナギ登りに増えることが予想され、また、昨今の実質年齢は、栄養や医療、さらには生活環境の著しい改善で、かつての物理的年齢の70%、すなわち、80歳は56歳なので、7~80代で、概ね15歳の寿命の動物を飼うことを、ためらう必要はありません。

人間が、人さまに迷惑をかけずに、元気で長生きする秘訣は、日々の生活に、何か“明確な目標”を持つことだ、と言われていますので、「そうだ、この子が天寿を全うするまで、自分は心身共に元気でなくては」と、日々の生活を前向けに生きる目標には、伴侶動物の存在は、“とても・とても、大変に・大変に”、有用です。

さて、みっちゃんの里親探しです。

写真にコメントをつけ、待合室に張り出し、こと有るごとに、飼ってもらえそうな方に、みっちゃんを見てもらい、お願いしましたが、関心を示す人はいても、具体的に里親にはつながりません。

病院での里親探しの難しさは、誰かれなしに、あまりしつこく勧めると、「あの病院に行くと、里親を押し付けられる」と、悪しき評判を産んでしまうことで、この人なら可能性がありそうと思われる方に、さらりと里親を勧めなければなりませんが、さらりとしすぎると、何時まで経っても決まりません。

Sさんの愛猫は、15歳の高齢にもかかわらず、とても元気でしたが、ある日、急に元気が無くなり、検査の結果、重度の貧血が判明、そしてその原因は、片方の腎臓が腫瘍化し、血管が破れ、大出血したことにありました。

みっちゃんは体も大きく、体力があり、毎日を無為に暮らしていましたので、ここでお役に立とうと、供血ネコ(輸血用の血液を提供)に立候補、クロスマッチでも問題がなかったので、採血し輸血としました。

Sさんの愛猫は、輸血により元気も食欲も回復し、なんとか手術に耐えられる状態に復したので、手術に踏み切り、摘出手術は成功しましたが、高齢でもあり、腫瘍も悪性でしたので、間もなく旅立ってしまいました。

飼い主さんは、その死をとても悲しみましたが、お別れの時、スタッフが、「この子の血液で、ずいぶん元気になったんですよ」と、みっちゃんを見せると、「そうですか、1年近くも、病院で暮らしいるのですか」「うちの子が、一時的にでも元気になったのは、この子のお陰ですね・・・」「うちの家族の一員に迎えましょう」。

スタッフに抱かれ、顔をすり寄せ、甘えていた、みっちゃんは、立場の急変など解る由もなく、キョトンとした表情で、Sさんを眺めていました。